この記事は、2018年8月3日のパソコンサポートのお客様でもあり、知人のブログ「三愛のクニへ」からコピーしたものです。ブログをどんなふうにデザインしたらいいか、見本を示すために作成しました。後日このブログ記事は削除すると思います。

以下、ブログ元記事です。
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何時のころからか、「日本は素晴らしい」の確認ゴッコが始まった。その流れの中で声高に言われたのが、リベラル派の人々は過去の日本を異常に否定する「自虐史観」にとらわれている。片や保守を言う人々は「歴史修正主義」者だ、とレッテルの張り合いだ。私の知人の元大学教授は「満州事変は自衛戦争」だったと言って譲らない。仕掛け人である石原莞爾が「これを機会に、満州をごっそり頂こう」と言っているのだが。

一つの事象、一つの事実を「どの局面で見るか?」「どの時期を区切ってみるか?」で、ことの捉え方は下手をすると全く逆に認識されることになる。アメリカの白人は「自衛のためにインデアンを抹殺し、白人国家を作り上げた」以上に、「自分たちの豊かな生活を保守するために、黒人たちを奴隷として抱え込んだ」この人種圧殺のトラウマが「自衛のためには武器が捨てられない」アメリカ。もっと言えば「自分たちの安全を守るために、柵を張り巡らせる」アメリカの白人コロニー。

満州事変の発端は、異様に高まりつつあった「満鉄(南満州鉄道)」に関連する人々と現地人たちとのトラブル続きが背景にあった。石原・板垣は正しく「自衛のため」と名分が立つと踏んだ。が、さすが「柳条湖事件」は自らが仕掛けたとは口が裂けても言えない。鮮やかに満州全土を制圧した関東軍に、満州に生活する日本人は湧き上がった。それ以上に逆上せ上がったのが、直接火の粉が飛んでこない日本国内の民衆だった。「満州国建国」「5族協和」「王道楽土」とくれば、侵略などありえない聖戦そのものととらえられてもまんざら嘘とは言えないだろう。

振り返ってみれば、人類の歴史はこの繰り返しだ。この狭間の中で「過ちは、もう犯しません」となんとか平和を永続させようという声と動きが出ることも繰り返される。戦争と平和の中で、何とかことを解決しようと奮闘し続けた外交官の澤田節蔵・廉三兄弟。兄弟でありながらか、兄弟であるからこそか向かい方には微妙な違いがある。「自虐史観」「歴史修正主義」の論争にとらわれることなく20世紀前半の日本を探ってみたい。
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以上、ブログ引用。

 

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